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2023年度
未来賞
 
絲苑
 
                       太刀花 秒 

 
 
村人のし合ひて養へるの二度目に皮を脱ぐまで

納豆を絶ちて飼育所へ臨むいまだ小さきのために父は

を包み若かりし父の配りたる家家の中に若き母ゐつ

茶の間なる畳上げ果ての組まれこはき天狗の面は隠るる

たまきはるいのちに白だちてしわしわのかほで眠つてゐるよ

朝夕に父母は居ずトラックを駆りてを満たしてをれば

幾たびも桑を束ねてれたるを縄跳びせむとて嫗跨げり

皺を寄せ口とがらせてゐるを見て突つついてまるくしてまはる

生きよ生きよ食まれて骨となるあひだ桑の咀嚼は喝采を成す

桑の枝の手には折れぬをばつばつと剪定鋏とふ語覚えたり

葉脈に沿ひてぞらの浮き出づる庭に天の川三列いできぬ

胴体に光れる絲の漲りては羽恋ひ天をふりさく

幾千の繭を抱けるドミノのごとく近寄りがたし

うづたかき蚕沙より湯気たちのぼり虫のからだの温きをぞ知る

繭を突く大きな櫛のやうなあれ誰も名を知らぬままに繭かき

繭嗅げば日向のにほひ火の匂ひどなたの肌に触るる光か

全身の脱毛終へし白玉の繭をサンタの袋へ詰める

台秤に繭のついでに載せられて曾孫は爺に目方を知らる

掃き清め次の店子を待つごとくバーナーの火にを炙る

繭といふ名の子は減りぬ豪雪に飼育所毀ちてより三十年


 
     
     
   いまは遠景
 
         花島照子


 
 
iPhoneの光を腕に閉じ込めてタイヤの音を聞く夜行バス

国道のまばゆいガソリンスタンドへこころの枝をそっと灯した

朝焼けに両目をあたらしくしたら洗われたての川面を見たい

一時間おきの列車を待つ駅にスタンプあれば手の甲に押す

アルペジオおだやかに鳴る心地して空き家を囲む杉のゆらめき

工場の煙はちぎれあおぞらに刻一刻とぞっとしている

昼日なかシャッター街を颯爽と自転車のひとペダルに立って

まるい鳥描かれた窓の煤ぼけて傘屋に傘は床を指すまま

おおげさな訛りで楽しそうにするラジオの声がもう若くない

たちまちに虹くっきりと立ちあがり焼却場にいつまで根ざす

噴水へ犬駆け回るまぶしさを閉じ込めておく晩夏のカメラ

アスファルトにとめどなく水垂らすなら裸足で西瓜もらいにゆこう

遠来を夜の座敷にひとり聞くかたい枕に片耳あずけ

話しかけるように小さな川へ手を浸せば水と水が高鳴る

枯れたのか燃え尽きたのかコスモスの長く絡んだ茎を解いた

ゆうぐれの背中をすっと正すとき見晴らす稲がいちどざわめく

もうずっと成長しない梅の木の貧しい枝をなぜに折れない

訪れるたびにしなびてゆく街の解体されたビルの爽やか

いまここをいつでも過去にできる身に吹き来る風がずいぶん速い

青々とそびえる杉をすり抜けて日記を埋めた神社が見える 

 
     
     
2022年度
未来年間賞
皮ふを重ねる   
        西藤 智
 
 
人が死ぬニュース流れる中華屋で浮いた脂を箸でつないだ
       
夕暮れにごぼうを切った手のにおい生きてるぽくてくり返し嗅ぐ
    
三度目の湯を注がれてティーバッグからため息のようなあかいろ
    
好きじゃない服を着て寝る なぜ今夜死ぬことはないと思えるのだろう
 
木星のひかりの注ぐ街にいて川は銀テのごとく流れる
         
愛すれば小さくなっていくばかりラテにまみれた氷舐めれば
      
インク壷にインクの凍る部屋にいて文字を綴れば語尾のさみしい
    
黒革の手袋着ける皮ふに皮ふ重ねるような罪の心地で
         
日の高いうちの入浴まはだかの腹にあかるい石けんを置く
       
ストッキングつまんでできた空隙はわたしの肌の続きだろうか
     
羽化すぐの虫はやわらか鳥のくちばしを見たくて窓越しに待つ
     
イヤホンを耳から逃がす 夢を説くあなたの歌が街にこぼれる
     
容れものとしての機能は失わず把手の取れたマグはさみしい
      
髪を編む、髪がいやだとほどけてく 波はどこまで伝わるのだろう
   
怒りつつたんぽぽを吹く次の春たんぽぽ多いな、と言うために

     

                               (岡崎裕美子選) 
 
     
     
2022年度
未来賞
  
タトゥーなき背  
         馬場紘花  
 

臍五つ祖母は持ちおり半世紀つづく殴打に腹庇いつつ
このイエの早贄なりき焼鳥の串突き刺されし手背の黒く
シャベルもて打擲されし日の祖母にDVという言葉なかりき
暴力の日々を質せば瞬膜のごとく濁りぬ両のまなこは
流産のゆえんを問えず伯母になるはずの位牌のちいさくありて
父というマインスイーパ踏み抜かぬために選びぬ美しき話題を
竹串を岩魚の喉に突き刺してツェペシュのごとくわれら燥ぎぬ
半分は父であるわれ炎天のプールサイドに足型ならべ
バイト代貯めこみしころ貨幣とは鋳造されし自由と恃みき
真裸の尻こそばゆく草陰に撲ち棄てられて蟻浴の鵥
弱者にも強者にもなれずドラゴンのタトゥーなき背に小夜しぐれ落つ
かの日より雷鳥棲めり羽撃きのための胸筋ふくらませつつ
水差しに石を入れれば褒められる烏のように褒められており
帆翔の鷹になりたし促してようやくもらえし名刺一葉
肥厚爪いまだ治らずヒールなき靴何足も履き潰しても
ウィル・スミス擁護したればわが裡のtoxic masculinity指弾されたり
求愛行動(ディスプレイ)はげしき歌舞伎町をゆく選ばれるより選びたき夜は
婚姻の前夜に夜鷹の啼きさけぶ改名か死か選べぬままに
戦争にきみは征かせぬ手づからに両の腕(かいな)を不具にさせても
尻ばかり蚊に刺されしを見せあいて姉弟(あねと)のごとくわれら暮らせり

 
     
2021年度
未来年間賞
  
自分のための泣き方なんて  
             若枝あらう  
 

東京は僕の居場所か分からないけれどゴッホのひまわりがある  

火を止めて味噌をとかせば暮らしとは余熱のなかを生きていくこと  

田舎ではちょうど花火が上がるころ俺はペヤングの湯を切っている  

慰めるように降るなよ夕立は夕立らしく降ればいいだろ  

舞茸は抵抗もせずほぐれゆきいつか傷つけたいひとがいる  

雨音にラヴェルを混ぜている部屋の午後はいつしか昏くなるもの  

玉ねぎをレンジに入れて忘れたよ自分のための泣き方なんて  

胸骨に鯨のような自意識が泳いで たまに嘘をつきたい  

体温で殴るみたいに抱きあえば鐘をかき消すほど深い雪  

近道を見つけたけれど夕焼けを飼うにはすこし狭かったんだ  

くだらない話がしたいベッドからあらゆる助詞が逃げ出す前に  

父親をはじめて論破した夜の震えを思い出す会議室  

急行の次の普通で誕生日みたいな顔をせずに帰るよ  

鼻先に桜ひとひら遠き日にかすめた髪のように散りたり  

さんざめくネオンライトの長調であっても悲しく聴こえるやつだ  


                         
(中沢直人選)
 
 
     
  エフェクト   
                 鷹山菜摘  
 

片廻という名前のバス停を通過するとき大きく曲がる 

田んぼから涼やかな風その奥の墓へと向かう自分の足で 

どんなときだって(今しかないきっと)一秒あれば名前を呼べる 

一枚の葉っぱふんわり舞い込むと私の部屋にかかるエフェクト 

三脚もなしに手だけで月を撮る ひどい写りの写真がほしい 

器具となりそれの仕組みに従って口開くのみ嘔吐するとき 

左から右から遮光カーテンをひく ほどほどに幸せ者だ 

山茶花がぽつぽつ咲いている道で単語が飛んでくるのを躱す 

あたしってそうやんか、って言い続けそうなっていく人の横顔 

実家にある人生ゲーム あったなあ どの職業も厚紙だった 

(去る人はみな言っていた)おそらくは海、なのだろうこの暗闇は 

前輪にせき止められた花屑に駐輪場の二時間を見た 

平成に生まれ生き延び今日もまた部屋の空気をめぐらせている 

祖父の山(いずれ私の山となる)ともかく母は立ち入り禁止 

一冊の本がふたりの前にある椅子の近づく罠であったが
 
 
                                 (阿部愛選)  
     
  アテナイの虹  
                       佐藤薫  
 

六月の午睡の夢ははちどりの唸り孵化せぬたまごのなかの      

そこにゐたはずのすがたがない夏をしたたる麦茶のコップの結露   

企画書は握り潰されフリスクを三粒かじる夢をまだみる       

その手指をぼろぼろ零るるパイの皮アテナイの虻つひに飛び来ず    

ゆらゆらと空は茜に燃え尽きてたばこ吸ふ間の自我のたゆたひ     

かんかんと薬缶に湯の沸くおとのしてただ一度きりのいまを雪降る   

紙巻きのたばこを吸へばつらつと昭和の錆びたにほひまつはる    

五年目の革手袋の内側が破けて指がかかる 雪の香          

三月を(神の欠けたるいちじつのおもひを煽るごとく)風吹く     

ホチキスの針を落としラグの上をさぐりつつ歩くやうに生きをり    

ひつそりとわたしに触れず過ぎてゆく春の和毛のやうな時間が     

飲み終へし空き缶の捨て場に迷ひつつ三叉路を生きるはうへと曲る   

クレマチスつつじ小手毬はなみづきヤンゴンに硝煙の香のただよふ日  

届かない五十二ヘルツのこゑ発しわかきくぢらが暁空に惑ふ      

死をのぞむあるいは生を希ふひとそれぞれに針刺すごとく雨      
                    

 
   (中川佐和子選)  
     
2021年度
未来賞
   
 No drama                                           

ゴウヒデキ

色の名は言えないけれど東雲の空、山、街のそれぞれの蒼

右の目を閉じればずれていく世界自分のことをあまり知らない

非常ベルが鳴っている駅誰一人慌てないから鳴ってないかも

からころと車両の床を這う缶はそうなるよねえ僕に近づく

北口にいますと言って北口に向かう途中ではたと出くわす

ラッパーの手のアクションはくきくきとビジネル語る人にも出でつ

芸人は芸だけしてろと言いそうな人だな ほらね やはり言ったろ

いいことを言ったはずだが偶然の駄洒落にみんな気を取られてる

命懸けでやってんだって言う人にどう見えているの命は

3回転半はひねって攻めている側へと君は着地をきめた

分が悪い方に肩入れする父であったな「ですが」と言いつつ思う

そうだねと言えば私も味方だと見なすのだろう  !

起承結結結結結結のあと「転」現れてうだる会議は

ひさかたの日体大の食堂のライスのような残業があり

アニメとのコラボ激しきファミレスで頼む野望のなきハンバーグ

今ならばアニソン歌手に歌わせるだろう軍歌を大戦あらば

アスファルトを撫でたる風の蒸し暑さデマとは君が見たい陽炎

友の目を窺いながら囃す子ら勝ってる側は気持ちがいいか

揉め事に大人が止めに分け入れば片方の女児はつか泣き出す

たぶんあの泣いてはいない子の方が忘れぬだろう 砂場 昼闌け

 
   アテナイの虹海と孔雀

                                     有村桔梗

休診の文字の代はりに閉院が貼られて冬の接骨院よ

骨までは達してゐない戸惑ひが刺さつたままでしばらく生きる

THE STAR〉〈THE HIGH PRIESTESS〉〈STRENGTH〉 友の選べる三枚のわたし

さいごまで使ひ切れない日焼け止めを今年も買つて夏ははじまる

いたづらつぽくすり抜けてゆくこの風はあなたのシャツの産んだ風だね

暮れてゆく河原にずつと揺れてゐた泡立草のあかるさを言ふ

夏銀河 自分勝手に扱はれ輝きなくしたことばがひとつ

しかたなくおとなのかほでほほゑめばわたしのなかに暴れる駄々だ

ずんずんと過去になりゆくわたくしを作中主体が踏みこえてゆく

うつしよとうつつのあはひを縫ふやうに羽黒蜻蛉は低く飛びたり

孔雀みたいな花だつたと言ふひとの目に夏、幾百の孔雀はひらく

からからに乾びてゆけるここちして電車でひとり海へと向かふ

つぎは、きらきら。きらきら。つてうたたねのわたしの耳の奥までとどく

右をみて左をみたら右をみて海に真向ひマスクをはづす

そばにゐて欲しいいますぐわたくしの目に映る海をみてゐて欲しい

ざぶざぶと波間を割つてくるぶしに補充してゆく海の成分

炎昼をあるく海沿ひたんたんと平沢進の曲噛(しが)みつつ

えびせんを咥へてぎゆんと飛びゆける鴎のこはきまなこをみたり

あなうらに砂粒しるく残りゐて砂浜はまだこちらの時間

ハオルチア・オブツーサひとつ購ひてきみの窓までゆつくりあゆむ


 
2020年度
未来年間賞
 
 
 白い惑星


                         多田愛弓


空が退屈になつたらエッシャーと蜜柑を持つてゆくから 呼んで

風が絵に来てゐるなにも願はずに描いてゐたのに潮騒といふ

シャーペンの身体がほしい替芯をいつぱい入れて全うできる

あつさりと翳に包まれゆくからだ 意識がドアの隙間から視る

映日果をむくゆびさきは集中しこれは祈りといふかもしれぬ

トライアングルのまん中にゐたいどの方を向いても音の聞こえる

なんとかして できるなら そのうち いつか「会いませうね」は難しいこと

十錠の小さな白い惑星が消化器官から流星になる

Tシャツの小さな染みはお醤油で悲しさよりは濃くありません

水に浮く一円玉のうつくしくあなたは何も残さなかつた

パジャマを洗ふタイミングのわからないままにまうぢき大人を過ぎる

ペン立てのペンは向かうを向いてゐて誰もわたしを攻撃しない

生きてゐる途中の顔のさびしくて紙の袋をパン!と叩いた

夜が身体の型を取りひそやかに明日のわたしの仮縫ひをする

深更にシンクを洗ふ わたししかゐないわたしとつきあへるのは


                                
(飯沼鮎子 選)
 
2020年度
未来賞
  
 
  きょうは火薬庫前で降りずに

                          森下裕隆       


皇帝の眼が抉られるページありビザンティン史に青い付箋を

忠誠にひとのこころが濡れていた遠い時代の紫陽花だろう

(紫陽花か?)(いいや火薬庫前ゆきのバスを待ちつづけるひとたちだ)

先帝の無念は晴らせそうにない梅雨の晴れ間に布団を干して

悪霊に取り憑かれてるふりをして担々麺にチーズを載せた

シュークリーム空洞同好会からの招待状は燃やしてしまえ

集会はごめん行きたくなくなった春樹嫌いがふたりも居るし

出目金のことは謝れないままで天神坂をゆっくりのぽる

出目金の目玉が取れやすいことを誰も教えてくれなかったよ

もう一度言葉を尽くしあえばいい雨の車窓に溺れる鳥居

クヤクショをカヤクコと聞き間違えて耳腔の奥に舞うかたつむり

理解者のふりが得意なだけなのか靴の先から起こる。波紋は

翡翠に生まれ変わって貸し借りが無しになるまで囀りあおう

長生きをしたくない派のわたしたち雪国まいたけ引き裂いている

そよ風に付箋が青く揺れている地獄にも本があればいいのに

門兵のその日掛け忘れた鍵が読後をしばし煌めいていた

余韻への敬意が無くて読破という言葉はあまり好きになれない

横顔が夜間単独飛行だぜ濃い珈琲を淹れてあげよう

舌の根を夏の夜風に乾かして千年だって誓ってやるよ

いいんだよスワンボートも欠伸するほどの速度で漕いでいこうよ





 
2019年度
未来年間賞
 

散る散る生きる                御糸さち

 

生きたままYOUまで届く歌になれ推して敲いて磨く助詞力

「子供いるけど気にしないでね歌会」なるを自ら開き子を連れてゆく

私から生まれた我がその生を全うしようとしている結句

母四人子供七人その内の三人が我が子なり多いな

かなしい も さみしい も分からず少女「つまんない」とぞ繰り返すのみ

俺むかしワルだったんだよね、的な名の荒川を歩いて越える

猛暑日の息継ぎとして頭から飛び込んでゆくセブンイレブン

各々が前と信じている方へ子供三人散る散る生きる

昭和から晴れ間を待っているような黒猫亭のてるてるぼうず

手の中に地球があれば回すでしょ うっかり落としちゃったらごめん

最近はねえ、と言うとき母親の口からあふれ出る二十年

まどろみの中であなたと手をつなぐ あなたじゃないし足だったけど

四本の足が次々降ってきてホラー映画のような寝室

墨田区に暮らしていればすれ違うおすもうさんの数かぎりなし

自転車はとても丈夫にできているおすもうさんが乗っても走る

                                             (飯沼鮎子 選)


 
2019年度
未来年間賞
 

ひびわれないひかり             川村清之介

 

銀色のティースプーンにうつってる自分はすこし微笑んでいる

片隅のちいさな白をみつめてるそれが花だとおもいだせずに

収集車のみこめるだけのみこんでどこかですべて吐きだしている

たそがれに両手をついてしまったねからだぜんぶを真っ赤にさせて

泣いているきみが手をつく壁ぎわに行き場をなくした影が折れてる

かぎりなくスローモーションふりだした雨がぶつかるその瞬間の

ひびわれた窓ガラスからひびわれないひかりがやさしく差しこんでいる

ハンカチをおとしましたよ手をのばすせかいのすみのタータンチェック

蛇口からこぼれる水がすこしだけひかりをあびて排水になる

どのほほもきっとほおずりされたろう素知らぬかおで歩くひとびと

ガラパゴスみたいな夜にだれからも理解されない進化をとげる

信号のあおいてんめつ永遠がつづく気がしてふりかえらない

秒針がとまってみえる瞬間にほんとうのことはなしはじめる

雨でなくほんとは街がふっているそのようにしか思えない雨

噴水をじっとみている昇るより落ちてる水のほうが好きだな

                                               (盛田志保子 選) 
 
2019年度
未来賞
 

Sister, My Cassandra              文月郁葉     

 

熱湯をすこし冷ましてゆくまでの朝の空気は何にも依らず

花は誰の化身でもなくみづぎはに作者不在の論争を生む

カサンドラ症候群(カサンドラ)コップの中の嵐でも金魚いつぴき死なせてしまふ

汲むたびにうろんと響くキッチンのウォーターサーバーとても素直で

胸骨の白さと硬さいつぽんの樹としてのばすわたしの枝葉

にはとりが先か或いは家族とふ単位の中のヒエラルキーは

孵化をするものもあるとふ手にとつてやつぱり戻すうづらの卵

不確かなものの暗喩に海を置き他者をかばへば深まる傷か

脱衣所の窓は結露す目に見える傷のないまま生かされてきて

ひひらぎは誰に不都合しろい花咲かせても葉を尖らせたまま

言葉でも殴打ができる美白用化粧水(ローション)ばかり減りが早くて

ルッキズムの神話ほろべよ自づからひらきはじめて蛇苺の黄

湯冷めした体のやうなあきらめは誰も悪くはないのだけれど

どの花の比喩も受けずにパンプスで縮んだ指の間をひらく

硝子戸に指紋べつとり不都合のなかへ理想をおしこめといて

共感(いいね)つて蜜をたたへて届かない距離ならきつとあきらめがつく

雪原へ足跡を(四月、水張田となる)前進を可視化するやう

誰の手も借りずに朽ちてゆけるけどあなたの森の切り株でいい

バイアスのかたちに歪む舟へ乗りかかる飛沫のこんな涼しさ

てふつがひ、はばたくことは拒絶ではなくゆつくりとひらく朝なら

 
 
     
2019年度
未来賞
 
剥がれるまぶしさ                 岩田あを

 

深くまでわたしに潜るため淹れた珈琲を手に机に向かう

仏間からうすく木の実のにおいして廊下のさきがうまく見えない

何枚も撮った並木の葉桜を結局だれにも見せないで消す

春雨の入っていない生春巻き言葉にならない感情ばかり

きみの午後に海の約束取りつけて一筋の雲みたいに過ごす

猫の見る視線を追えば悠々と十連休の二日目の雲

改元が祭りのようになっている街から離れ飲む滝の水

長いながい休みの明けた月曜になんじゃもんじゃが一斉に咲く

レタスから這い出た蟻を包む手に片仮名めいた蟻の感触

この薄いからだにこころはあるのかと鰈に浅く切り込み入れる

階段だけが更地に建ってそのあとのことは知らずに梅雨を迎える

足袋を履いた途端つながる親指の感覚に似て六月の百合

ダリとバブーの写真を見つつ午後を待つ日照雨の空に足止めされて

まだ雨のしずくを残す木蓮と感情がついてこないわたしと

はみだしたリップを拭うゆびさきを戯れに飛ぶ紋白蝶は

雲母のごとたやすく剥がれゆく日々にきみの煮込んだカレーの辛さ

若さからではないわたしだったから痛みは繁るサルビアだから

クリップを落として拾うまでの間に知らない星のひとつが消えた

のうぜんかずらの花花溢れ白昼の睡魔は眉間から注がれる

遠ざかるものがまぶしく見える日の溶けきらなかった粉のポタージュ

 
 
     
2019年度
未来賞次席
 
あふれやまない                 森下裕隆



不可思議へ到る扉はどこだろう葡萄の汁の滲んだ手紙

さかさまにレインブーツを振ってみる金沙銀沙が零れないかと

悔しいがぼくの生涯賃金でスエズ運河は買えそうにない

イラストのバスの進行方向はわからないまま生きてきました

灼熱の交差点でも二段階右折はちゃんと守っています

永遠に飛び出さないでいることが飛び出し坊やの仕事ですので

ほほえみに深い入江をもつひとだ大きな鰐が棲んでいそうな

おそらくは小日向文世いまきみの喉から出かかっている名前

「詩のことはわからないけど光ってる文字を拾っていけばいいのね」

断面の鋭いものは苦手だよショートケーキを例外として

しあわせを願うあまりに燃えさかる気球に乗ってしまったのです

てのひらが熱いやかんに触れるのをとどめるためのちからが欲しい

隣室に死体があるのかもしれずお湯にほぐしておにぎりを食う

通り魔のニュースならもうたくさんだ蚊遣り豚だってそう思うだろ

虚無主義を気取っていてもふるさとにかに道楽があったはずだよ

隣人はやはり孤独死だったのだ祭り囃子がほろほろ遠い

たまらなくふあんな夜は桃缶をふたつ開けてもかまいませんか

「助けて」と言うときくらい滑舌の悪さは気にしなくていいんだよ

百歳の白雪姫の打つレジに真夜の金貨はあふれやまない

前足に変わりつつある手でたたむ葡萄の汁の滲んだ手紙

 
     
     
2018年度
未来賞
 
亡霊たち   

                                  辺見 丹

聴け、と針落とすごとくに降りそそぐそばから町を蒸し上げる雨

千年後にはゐないわれらに真夏日が続くと告げるこゑひんやりと

カーテンを開ければ網戸にふるはれたひかりの粒が転がり込んで

水道管充たしてくさりゆくみづは管もとろもにくさらせてをり

点滅に急かされるふりしてtake freeのなにかを拒んで渡る

遅れてから遅れるといふ連絡を寄越すあなたを待つ夏の駅

ぬばたまの喪の装ひの人びとの盛夏と呼ぶに足るそれだつた

点々と窓にはかうべの痕だけが白く残つていつかはひとり

上陸の記憶ほろほろほどけても指先に渦を閉ぢ込めてゐる

喚起するべく口遊むメロディのあなたにはじめて聴かせる高さ

デミグラスソースのやうなゆふやみが海のおもてへどろりと伝ふ

くらやみはひび割れはじめ口々に手持ち花火の角度を言つた

(さき)から(さき)へ火を継ぎながらこれからのあなたへ降るあらゆる出来事を

火の揺れるたびにあなたのよこがほにあなたやあなたではないだれか

われもまたひとつの器と思ひつつバケツのみづへ放る花殻

でもあれは人影だつたと言つたきり黙れば黙るほど長い橋

町ひとつ焼き尽くし終へなほ熱を持て余すやうに夏の夜のかぜ

ふれながらつかまうとすればくらやみにたゆたふ糸のごとくあなたは

暗転のそのひとときに映り込むわれのかたちの亡霊めいて

思ひ出し続ける 火を止めてしまへば浮いて固まる脂


 

  

2018年度
未来賞次席
 
やわらかく変わる                     戸田響子


マスクごしの外気は少し冷たくて遠い踏切の音だけ聞こえる

三月の晴れた空から唐突に紙片のような雪が降りだす

自転車が輝きながら並んでる「撤去します」の札ややゆれて

濁流の川に似ているレジ袋浮き沈みする幹線道路

同じ道同じ人たちイヤホンを外せば街が押し寄せてくる

なぜだろう息をとめてた開錠の電子音を待つ長い一瞬

あと五分のはずの会議でもうずっとささくれを気にし続けている

街路樹の根元の白い粒々も宝石のように見えていた日々

シャープペンシル何度もノックをして芯の危うさを見てそっと戻して

たんぽぽを探せば意外と見つからず名前を知らない草花を踏む

カタログをめくりめくって手をとめて瞬きをしてまた瞬きをする

ビン・カンと並ぶゴミ箱遠くからなんだか澄んだ音がしている

繰り返し流れる保留の音楽の裏には知らない人が生きてる

つめくさを摘んでいたころ絶対に母になるものと信じてました

裏道に入ればそこに音はなく捨てられている公園がある

空間を知らない人とわけあってやわらかく変わる部分に驚く

あたたかい雨が続いていつまでも雪とけ残る場所を忘れた

トリクロロ鶏むね燻製止利仏師ワイパーの音が加速してゆく

思いついて見慣れた壁のしみを拭く入れかわってくいろいろなもの

いつからか眠りに入る直前に広がってゆく草原がある

                                  


 2018年度
未来賞次席
いいことがあるように                  
                                 ゴウヒデキ


渡辺が女子と下校をしているぞ」ぐらいで教室飛び出せた夏

ビルとビル結ぶ廊下に飾られた造花のさびしい赤が鮮やか

天気雨ウソをつかれて避けられることにも慣れた俺を濡らせよ

ジーンズの裂け目に光る白い肌見せたいために開いた傷は

果汁ゼロカロリーゼロでイチゴ味一体何を飲んでる 赤い

枇杷の色かたちも枇杷の太陽が海に果汁を垂らして沈む

暮れなずむ空に浮かんだはぐれ雲友らはみんな街へと消えて

空、それは多くの兵が死ぬ前に愛する者を浮かべた器

キスをしたあとの気まずさ道に立つ駐車禁止のポールの間隔

何か出ているのか悔やみ始めると空気清浄機が動き出す

一筋の吐き出す息を糸として身に張り詰めた怒りをほどく

いいことが君にもきっとあるように俺よりちょっと悪いぐらいの

「ラーメン」や「うどん」の看板並ぶなか「足」にドキリと足ツボの店

夜も更けてラーメンを食うこってりと絞られている新入り翁

番号で呼び合う婚活パーティーの刑務所めいて冷や飯を食う

夕焼けに染まるまでにはまだ遠く神社で遊ぶ子らの楽しさ

キレイだと思う大群夕映えのトビウオの下捕食者がいる

夕刻にまどろめば美輪明宏の救霊勒の声が木霊す

二次会に行けば出会いが待っているなんてことなどないのだ金魚よ

リノリウム床を光の鯉たちが上ってゆけば朝 体育祭


 



2018年度
未来年間賞
 
   鍵穴の中で起こっていることをわたしだけが知っている

                                    道券はな




色褪せたハイソックスの行き来するむこうで慰霊碑に新しい花が

保健室受験の女子の肘下に同心円状にたまる影

わたしだけ知ってることを喉奥で転がしながら 昼が長いね

ステージのピアノに鍵を差すときの しかし僅かに拒まれている

遠藤はうつくしい名で聞くたびに霧のむこうでゆれる藤棚

雪風に頬を晒せばひろびろとひらく私という展開図

鍵穴のなかで起こっていることを思えばふいに伸びてくる影

雨止みを知らずに傘をさすひとを抜かさないようゆっくり歩く

号令を待つ子どもらの足もとへ風に吹かれて押し寄せる花

銀河にはなり損ねたというふうにプロジェクターの前を舞う塵

消灯後つづく少女のささやきを聞けば私はずっとある森

会計を任せて出れば散る花が路傍の水を濁らせている

コピー機の中で非業の死を遂げた紙をしずかに取り上げている

チャコペンは布地の上でくだけ散り私の脆いところまで飛ぶ

コンビニでお金をおろすひとを待つ電柱の影にぶった切られて

                         
                                       (岡崎裕美子選)

     
2018年度
未来年間賞
 
   
雉と百合
                       
                                    田中哲博

(ツナ)の味はつゆもあらねど深浦の篤きのこもるマグロせんべい

猛りわめく老いしが便を溢すなくヘルパーはときに襁褓を狩る 


(声掛けが足りねえなどとぬかしながら介護支援専門員(テメヘ)がやつても同じこつたろ)

「人の尻を!なんてえことを!」ハツさんよ()つなお襁褓を替へてんだから


皮膚裂傷(れつしやう)をさせないやうにヒアリより怖いあんたの肛門を拭く


「マグニチュード5・4の核実験…」もと英語教師をトイレへと()


ヘルパーが不足してゐる問題も紙面に載らなくなりけむ ヒアリ

シャワー後の己が背中をしかと拭く なべて介護を脱ぎ終へたくて

ペダル踏むこみち昏きに沿ひつづく溝はうすらに()を張りゐたり

やけつぱちの(あれ)()いたる猫なるが()しとし重度障害者のぶ

晴れわたり小銭のなじむ此の姿(なり)もあふぐ和光の時計塔なり

はくせいの雉の背なかを撫でやらば森のさ霧のわき出づるやも

剥製は介護施設に置けぬとふうつくしき死へ()()あるゆゑ

くちをあけ永久(とは)を得にしか側臥位のままに披いた百合となられて

おとろへゐし入居者さまが逝かれたといふに神戸屋へ向かふ足

                          (江田浩司選)


     
2018年度
未来年間賞
 
 
 星座のごとく                  
                                  青沼 




殻を脱ぎはだかで進むかたつむり醜くはないそれが君なら

とくとくと胸部脈うつ赤とんぼきみに見せたしまだころさざる

濃緑にしげる葉のなかピーマンのはな散らばれり星座のごとく

天つたう白鳥のこえふりくるよショーシャンクにも今朝の俺にも

きえてゆくオリオンの下淡黄の始発電車は音たてて行く

主夫われの家事報告を受けしのちうっすと言いて風呂に入る妻

某国が暗殺凶器に使いたるボールペンにて書く蛙の詩

パラパラと輸送機が飛ぶ晴れた朝果樹園農家の父を手伝う

斬撃のごとき言の葉投げかわし妻と急ぎつ登園準備

このリズム)))こころますます狂わせる登園時間のピタゴラスイッチ

きみたちにみえてる日本はちがう日本されど同時に観るパシュートを

帰りきて夜具にたおれつ水底の貝になりたし五億年ほど

目的地ゴルゴダに似てああ僕に勇気くださいレンタルでいい

頭部なき鰯詰まりしブリキ缶全体国家はいつもあかるく

きみの手をひらけばそこにある星座 カシオペア座にふれたしわれは
  

                                            (堀 隆博選)
     
           
           
           
2017年度
未来賞
 
  うしろまえ   

                                  工藤吉生


     
    泳いでる海がみるみる干上がってゆく感触の果てに目覚める
 
     
    休日の朝七時から一日をなぜだかあきらめてしまうんだ
 
     
    十七の春に自分の一生に嫌気がさして二十年経つ
 
     
    悪口を言われてる気がすることを自己紹介の途中に言った
 
     
    パトカーが一台混ざりぼくたちはなんにもしてませんの二車線
 
     
    電柱を登ってゆける足がかりとても届かぬ位置より生える
 
     
    うしろまえ逆に着ていたTシャツがしばし生きづらかった原因
 
     
    「呪われたみたいに肩がこってる」と言ったオレだがなぜ分かるのか
 
     
    自己嫌悪にうっとりとしているあいだベルトゆるめに締めている手は
 
     
    おそろしい形相をした歳月がうしろからくる 前からも来た
 
     
    出前用バイクは昨日見た位置の五十センチほど後方にある
 
     
    あたためたはずのパスタが冷たいのも自分のせいと知るべきだった
 
     
    田舎芝居「平謝り」を披露してそのブザマさにより許される
 
     
    まったくの時間の無駄と知っていてなお口喧嘩必殺の法
 
     
    ドブに捨てるようなものだと冗談に聞こえるように言って千円
 
     
    バカにしているのを見やぶられかけて次の細工は丁寧に編む
 
     
    他人への刃がクシャミしたせいで自分の胸に、ほら刺さってる
 
     
    目を閉じて夜の電車に乗っているできれば耳も脳も閉じたい
 
     
    ぼろぼろを渡って帰る二十二時ぼろぼろは来てくれた部屋まで
 
     
    死にたくて飛びこんだ海で全身を包むみたいに今日を終わらす
 
     
           
           
2017年度
未来賞
 
  夏のにほひ
                                   大西 久美子



     
    レグホンの羽より少しかるい息 してゐる髪を帽子に詰めて
 
     
    二十五メートル泳げない君むずむずと鰭の生えない身体を呪ふ
 
     
    太陽に晒す浮き輪のやうな口ぽつかり開いたまんまだ、わたし
 
     
    七月のプールのにほひをたたしめてむはつとしてゐる女子高生は
 
     
    午後二時の光を弾くふくらはぎゆつくり拭いて教室へゆく
 
     
    乾きゆく髪よりふつと立ちのぼる温風(あつかぜ)(いたる)カルキのにほひ

     
    グラウンドにによきんによきんと生えてくる(鉄の茸だ)スプリンクラーつて
 
     
    半夏生の高校生を眠らせてワンマンバスがぱああんと過ぐ
 
     
    焼売にちよこんと乗せる(あを)豌豆(ゑんどう) ガスタンク四基の影が濃くなる

     
    板チョコがくにやつと曲るかあさんのこまつた時の仕草のやうに
 
     
    湿つぽい庭にときどき蛇が来るチェック模様の朽ちた垣根ゆ
 
     
    国道をさらりと渡るわたしたち薄日に光る海を目指して
 
     
    ホチキスの針一箱を空にするペーパームーンを口遊みつつ
 
     
    月の夜はグーグルアースを起動して風待月の鳥島にゐる
 
     
    つつましく右目を包む眼帯が鬼百合色の夕陽に染まる
 
     
    連絡のつかない森になるだらう線路を外した廃線の跡
 
     
    あらがねの地下道を這ふかたつむりぬらりと光る航跡を曳く
 
     
    デボン紀の太つた魚をとぢこめる地層に海のにほひは絶えて
 
     
    背を割つて朝に羽化した蟬が鳴く カウントダウンは始まつてゐる
 
     
           
           
2017年度
未来賞
  
   ゆるゆるフリル
                                      蒼井 杏



     
    あ、そういう、わかりました やわらかくスリープさせて引き継ぐパソコン
 
     
    あとまわしにしますけれども泡の立つポンプでゆびのあいだを洗う
 
     
    実体にともないはさみを水平に入れてゆきます消しゴムケース
 
     
    でしょうねと帽子をよっつに折りたたみリュックサックにねじこんでいる
 
     
    わたくしがいてもいなくてもおしぼりをまぶたにあててそしてひらいて
 
     
    してないです。いまは、なんにも。雨の降るページにひとさしゆびをはさんで
 
     
    夕ぐれの床に太ももはりつけてひどく点滅させたまんまで
 
     
    いちびょう、にびょう、さんびょう数えて春雷をだんだんわたしにてなづけてゆく
 
     
    おやゆびのつけねの小石つれてゆき結局つれてかえってきたの
 
     
    猫と鼻かぎあいながら遠因をおもうのでしたまひるまの月
 
     
    はちみつにつけたレモンのいちまいをその他おおぜいからうらがえす
 
     
    そこですかそこでしたかって安心をすこししている前髪のうら
 
     
    わたしから切り離されたままでいる日傘をとりにいってきますね
 
     
    ずいぶんとささげたのになくつしたのフリルみたいなゴムのゆるゆる
 
     
    筒の中しゃらしゃらと鳴る2Bのいっぽんだけが選ばれてゆく

     
    ものさしを水平にあてて線を引く へいき、これは通り雨だし
 
     
    それじゃあねさっきのエレベーターに乗り天井の違う世界をめざす
 
     
    ふたつきの飲み物ではない飲み物を持ち込んでわたしとても水平

     
    耳と耳のあいだのひらべったい猫をさんぼんのゆびでなでつづけている
 
     
    耳と耳のあいだのひらべったい猫をさんぼんのゆびでなでつづけている
 
     
    みずたまりにくつをぶつけててんてんとわたしの雨を逃がすのでした

     
     


     
 2017年度
未来年間賞
 
   静かに、静かに       
                             森本 直樹

     
   

植木鉢並ぶパン屋の入り口に傾いている折りたたみ傘 

     
    カフェ・ラッテの鳥の図柄を沈め終え小さな傷の重なるスプーン 

     
    寂しいかと問われればきっと寂しくて身体は風を受けいれぬかたち

     
    唐突なエンドロールの文字列に人は輪郭を取り戻しゆく 

     
    逆光にいっとう暗く象の背を濡らすホースと水の境目 

     
    洗剤をぶちまけて床磨きゆく雪の予報の京都のまちで
 
     
    彫刻の蔦植物の表面に背骨のようなざらつきがある 

     
    Take freeの聖書を配る男女みなトーテムポールのように立ちおり 

     
    変装に憧れている少年は座布団の綿を引き抜いている 

     
    フライパンの端のあたりで痩せていくよつ葉バターの長方形は 

     
    埃のない場所を求めてしばらくは風呂の小さな椅子に座りこむ
 
     
    蚊柱にとらわれている心地して鍵穴に鍵を差し込んでいる 

     
    あちこちに乳白色の傷があるクリアファイルを重ね持ちおり
 
     
    ネクタイを引きちぎるように解く夜の肥大している玉ねぎの芯
 
     
    カクテルに沈むオリーブ静かに、静かに私も断定したい  

     
    (飯沼鮎子選)       
           
           
 2017年度
未来年間賞
  うごきがいいね       
                             鈴木 麦太朗

     
    夕暮れの歩道に横たわる猫の色黒ければあやしかりけり

     
    焼酎を親にかくれて舐めしこと鈴木雅之黒かりしころ
 
     
    さくら葉が土の上にて濡れているやがては土になる定めにて
 
     
    夕闇の自動車修理工場はわがゆく道をほのぼの照らす
 
     
    借家なるいわば一世のかりそめの宿のわが家の鍵を開けたり
 
     
    死に際に「けっして女を信じるな」なんて息子に言ってみたいぞ
 
     
    馬に乗り自由の国へ逃げてゆくドン・ファン膝に美女を抱きつつ
 
     
    パプリカの密なる種をとり去りて水のゆうべの小舟となせり
 
     
    とうがらし実る畑をゆく猫のそのなめらかなうごきがいいね

     
    あるはずのコンビニエンスストアーが更地になっている昼下がり
 
     
    雅楽からジャズへと至る小道あり電子辞書にてしばしあそべば
 
     
    さあ目地を磨いてくれと言うように使い古しの歯ブラシがある

     
    言いがたき時のはざまにわれは居て夕餉の卓に箸をならべる
 
     
    一匹ずつ羊が柵を越えてゆくマイナンバーを与えられつつ
 
     
    旅人のごとくに夏はめぐり来てあるき疲れて湯につかるかな 

     
    (中沢直人選)
 
     
           
2016年度
未来賞
 
  ほとり       
                             山階 基


     
    それっきり点けっぱなしの邦画から雷鳴そして雨が降り出す 

     
    おだやかな夏のはたての心臓に接ぎ木をはるか花野の枝を
 
     
    旗みたい 立っているだけなのに風こんなに受けている海の駅 

     
    呼びかえす泥のほとりのちちははの家にひと間を借りて暮らした
 
     
    寝苦しい眠ってたのか朝風呂のあとくせっ毛がうまくまとまる
 
     
    降りそそぐ雨の快楽を知りながら低いところへ流れる水は

     
    墓にいて訊いてみたかったと思う八月の火のことをあなたに

     
    動いているほうが笑っているように見える顔なのだからそうして

     
    緑地じゅう雨のにおいだかつて火に焼かれた街はいまも街でさ
 
     
    布かばんひとつでひさびさに出かけ帰るころ重さがちょうどいい
 
     
    垂れている紐をいくつか引いてみる手ごたえがあるのは放っておく
 
     
    あかねさすダンとメトロン星人のこたつを父と挟んで座る
 
     
    火みずからついえるすべのないことをそれでも熾されたあまたの火
 
     
    手帳を決めて連絡先を書きうつすこれは訃報のゆく宛て先だ
 
     
    キャラメルを剝いだ包みをポケットにそのままにしておく母だった

     
    忘れつつ引き返しつつ拭いていく廊下の先に新年はある

     
    ぼくを置く台をこころに持っていた母よそこから降りてもいいか
 
     
    この町で幸せになる人たちが憎らしかったのはきのうまで
 
     
    たましいをすこし零せばみずたまり留まれないと足が知っている
 
     
    来た道をほとんど勘でさかのぼるあいだに減っていく窓あかり
 
     
     

     
2016年度
未来賞
  
  指をぬぐう       
                            門脇 篤史

     
   
雨。街を希釈してゆくその水は我が首筋を流れてゆけり

     
   
すずやかに濡れゆく通り人々は傘を頼みて生きてゐるのだ
     
   
カーテンが防ぎきれないひかりあれ暗き小部屋に光は滲む
 
     
   
目覚むればけふもわたくし本棚に色褪せてゐる深夜特急
 
     
   
いくつものYシャツ吊るし直線をたもたんとするカーテンレール
 
     
   
日常に囚はれてゐる悔しさにコーヒー豆を挽く朝はあり
 
     
   
ヨード卵光の中に込められし命をけふは半熟で食ふ
     
   
青ネギを音を立てつつ切り刻む世界から忘れられないやうに
 
     
   
缶入りのナタデココ入り飲料をデスクに置きてはじまりしけふ
 
     
   
誰ひとり死んでゐないが指先についた朱肉の赤をぬぐへり
 
     
   
内線にあなたの声を聴いてゐる青き付箋にメモを取りつつ
     
   
どうしやうもないことはある口元を紙ナプキンで軽くぬぐつて 
     
   
ボーナスをはたいて猫を買ひしことなんでもなさげに後輩はいふ
     
   
悲しみは五指より漏れてゐたりけりペーパータオルで指をぬぐへば 
     
   
現実と癒着してゐる春の日がときどき我の身体を揺する
     
   
天井のスピーカーからこぼれ落つ死んだ男のピアノの音が 
     
   
たぶんまう飛べないだらういらいらと餃子の羽を箸先で折る 
     
   
白飯に砂が混じつてゐるやうにここにゐるから少しさみしい 
     
   
青ネギは買ひ物袋を飛び出して天を突きたる鋭きみどり 
     
   
身中にけふの落暉を据ゑながら紫煙に肺はふくだみてゆく
     
   


 
     
2016年度
未来賞
 
  ポリゴニズム       
                             本条 恵


     
    「迷う」って打とうとしたのに三回も間違えて、もう「魔王」で生きてく
 
     
    橋だったレゴを花へと組み換える四角い力とまあるい力

     
    角砂糖ほどける刹那ひんやりと舌にまとわる(指切りみたいに)
  
     
    破かれた端から昨日になってゆく日めくり暦の裏のざらつき
 
     
    板チョコも折れない夏の中にいて流星雨とは縁なく過ごす
 
     
    ゴールデン進出をした番組のように色褪せてゆく恋人
 
     
    鍋底の脂を拭う新聞に首相は笑みを崩さずにいる

     
     Kindleをバグらせるのは本棚を追われた紙魚のたましいなのか

     
    カビキラー垂れたタイルの徒な白さにも似た演説を聞く

     
    美しい逸話いくつも流れ来て訃報は真実味を帯びてゆく 
  
     
    打ち切りで終わった漫画の帯紙が丸ゴシックで言う「ありがとう。」

     
    ベランダに野良バーコードが飛来して家族の価値を突きつけてくる
  
     
    入口に似た手触りの戸を開けた途端くずれる恋という部屋

     
     蔓草をメガソーラーから剝ぎ取って荒れ野をふたたび枯れ野に戻す

     
    失ったひとの名もなき一葉に便りを拒まれている霜月 
 
     
    ペンローズの階段のよう「少年はなぜ殺されねばならなかったか」

     
    諍いのあとの厨に雪崩れてる対にならない蓋とタッパー

     
    ポケットの「貼れないカイロ」がもうすぐで燃えないゴミになるモヤイ前
   
     
    それぞれに密度の違う寂しさを湛えて人は窓際に立つ

     
    共鳴で割れるガラスもあることを知って僕らは指を解いた

     
     


     
           
2016年度
未来年間賞
   さんいちいちの針       
                             
                           嶋  稟太郎 


     
    わが胸に風ぶつかりて傍らの花水木いまなかぞらに浮く

     
    おりおりに会議すすまぬ時がありみんみん蟬の背はかわきいむ
 
     
    天窓をあけたる母のすみずみに向日葵の影かさなりてゆく
 
     
    まんなかに鉄杭のたつ北上の川をみて立て鳶(とんび)おまえも
 
     
    真横から家つらぬける波のあとかの日の雨は青くひかり来
 
     
    一針を打たれし紙の束ありて(えら)のごとくにおもての光る
 
     
    ネクタイは要らぬ会議と告げられて島つなぐ橋なかばを過ぎぬ
 
     
    おたがいの根を絡ませてイヤフォンは鞄の底で春を待つらむ
 
     
    両腕を広げてみても足りないな四枚のまど蜘蛛が横切る
 
     
    東京にいるってふしぎ三月の窓辺にひかるぺきんなべたち
 
     
    にんじんのざくぎりとして俺たちは金の環のかさなりを見ている
 
     
    ひときれのカツを置きたり日時計のさんいちいちの針動き出す
 
     
    からだごとみな揺れている高円寺小劇場の明かり短く 

     
    まはだかの木が投げ返す朝の影材木店は森閑として
 
     
    きらきらと青い鱗に包まれて歩道橋から街を見下ろす
 
     
    (中川佐和子選)        
     

     
2016年度
未来年間賞
 
  風をたべたい風をたべたい       
                             
                           安良田 梨湖

 
     
    アイシャドウ左がちょっと濃いなあと思ってしまう𠮟られながら

     
    ひょっとこのような顔してマスカラを黒々と塗る朝の布団に

     
    ストライプ柄のスーツにたましいの背筋は伸びて開拓営業

     
    良い明日がわたしに住みますようにってくちづけているジョア・ストロペリー
 
   
     
    きみの声きみの歯並び想いつつ通話ボタンに触れるおやゆび

     
    着信履歴を見てたら電話がくるような、こないようなの夜を過ごした

     
    アインシュタイン!アインシュタイン!とくしゃみする後輩のいてジャンボカラオケ
 
     
    無糖チャイ400円でなまぬるい地下のソファの一席を買う

     
    ばんそうこうのような敬語がすれ違う仕事納めのエレベーターに

     
    働いてばかりじゃ気づいてやれねえよだしっぱなしの猫の舌とか

     
    クロックス、漫画、ドライブ、星、馬肉。すごろくのように進め方恋
   
     
    口あけて眠るにんげん覗きこむ 私のほうが好きだとおもう
  
     
    めんぼうのように暇だよ喫煙所の扉背にしてあの人を待つ

     
    風をたべたい風をたべたい 靴下のなかで頭を揺らす指ども
  
     
    春がくる。承知している。土色の手帳のうえに眠りは浅く
 
     
    (岡﨑裕美子選)      
     

     
2016年度
未来年間賞
 
  雛罌粟が諭すからもう

                   
    島 なおみ

     
    走るとき犬かきになるいもうとがびしょぬれで雨からあがってくる

     
    後ろ手に閉じた歴史のドアだから臭いが漏れる隙間があって
  
     
    焦点のほどけた会話に伏龍の記憶を不意に挿し入れて来る
 
     
    山ぎわをわずかに染める渓谷へやさしい人と滝を見にゆく
 
     
    とのぐもる街ゆくわれら背後から逐われていたり見知らぬ冬に

     
    曖昧な縫い目の起伏パイル地の冬のシーツを原野と呼べば
 
     
    ハンドルを北に切りつつ異形なるオオカミウオを不意に恋しむ

     
    カヤックを頭に載せて男たち雨の河岸をしずしず歩む

     
    人びとの膝を香炉はめぐるとも銀貨は旅の手向けではなく
 
     
    三限の世界史で聞くうまそうなフランク王国カール大帝
 
     
    泣かないで泣いてるママの目頭に真鍮のビスあふれやまない
  
     
    茶器を湯に沈めつつ言う庭に咲くあのカロライナジャスミンは毒
 
     
    午後灼けたアスファルト踏む黒犬の逃げ水めいてわれを過ぎゆく
 
     
    死を簡単に詠むなと夏の雛罌粟が諭すからもう微笑むだけで
 
     
    ブラウスの胸ポケットに触れてきて狗尾草(えのころぐさ)を飾ってくれた
 
     
     (黒瀬珂瀾選)